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執筆者の写真雄町まい

「ふれる」とは。


新大阪&本町リラクゼーションサロンEmbraceの雄町でございます。




私はお客様にふれるとき、いつもお客様の皮膚を感じ取るようにしてふれています。



お客様の皮膚を感じ取り、私自身がお客様の皮膚からその中に浸透していくようなイメージを持ってふれています。



よくあるリラクゼーションのマッサージは、こりをほぐすことが重視されていて、そこには筋肉や皮膚、「あなた」と「わたし」といった物理的な境界線があるはずです。



肉体関係にしてもそうです。

いれるほう、いれられるほう。

一見、ひとつに重なり合っているように見えても、物理的な境界線は感じられるはずです。



ですが、私の施術はただのリラクゼーションでもなく、肉体関係をも超えた別のイメージがあります。



そこには性的ないやらしさもなく、かといってもみほぐしのように筋肉をゴリゴリとほぐすわけでもない。

安心感と心地いい感じのお風呂に浸かっているような世界観を持っています。



それはある意味、宗教儀式的でもあり、高尚なエネルギーの受け渡しのようにも感じています。



ただ、私がおこなうセッションが100%いい状態になるかどうかは、お客様との相性次第なところもあったりはします。


お客様ご自身が「わたし」を受け入れてくれないと、セッションの良さは格段に下がります。






いつもお客様のお身体に触れるたびに、愛をこめて触れています。

それが例えどんなお客様であったとしても。


性的サービスを求められることは、Embraceが始まってからはほぼ皆無なのですが(笑)


こちらが愛をもって相手に溶け込んでいこうとすれば、きっとほとんどの方が受け取ってくださるのではないかと考えています。




筋肉もほぐそうとすればするほど、筋肉に圧を加えようとすればするほど、抵抗したり反発してきます。


子どもの教育もそうかもしれません。

押さえ込もうとすればするほど反抗してきますよね。


恋人や夫婦喧嘩もそうかもしれません。

喧嘩とは戦うことであり、交わろうとする行為ではありません。



セッションも、お客様の欲望を一方的に、そして強烈に突きつけられても、ほとんどの施術者はそれを受け取ることはできないでしょう。

致し方なく形式上受け取ったとしても、そこに心などなく、だから終わった後になんだか虚しい気持ちになるというのは、形式上のものであり心がかよっていないからなのだと思います。






タイトルにも記載しています通り、「ふれる」とは愛がなければなりません。

それは一般の人々が容易く想像しやすい男女の恋愛の“愛”ではなく、神様が人間を愛するかのような無条件の愛です。



そうでなければ、私たち施術者は人を選んで施術していては、ものすごく偏った自分の好みの人じゃないと接客ができないということになってしまいます。


そしてそこには平等という概念はありません。





セッション中は、基本的に私は一言も発しません。

ですが不思議なことに、「わたし」の手とお客様の皮膚どうしで会話しているような、とても不思議な感覚に陥ることがあるのです。


大切にふれていく行為は、大切にお客様と心をかよわせることであり、大切にコミュニケーションをしていくということです。



これがひとたび自分の方向に意識が向いている人は、会話しながら手が止まったり、自分の話が多くなったり、施術とは別の、ふれることとは別のところに意識がいってしまい、セッションの質は格段に下がってしまうかもしれません。






長くなりましたが、私のセッションのイメージや、セッションに対する想いはそんな感じです。


16年もこの業界にいて、ストイックに突き詰めていくと、独自の世界観が広がっていくものなのかもしれません。

氏神演さんもそんな感じですが…(笑)





 

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